ネット誹謗中傷者の個人情報開示とプロバイダ責任制限法
インターネット上で誹謗中傷等の権利侵害に遭った時は、本人への損害賠償請求等を目的に、関連事業者に対して発信者の個人情報を提供するよう求められます。令和3年4月21日には、昨今発生した痛ましい事件等を受け、情報提供のルールを規定する「プロバイダ責任制限法」※が改正されました。
※正式名称:「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」
本改正では、訴訟なしで情報提供を命じられる手続きが新設された他、これまで対処が難しかった「ログイン型投稿」の発信者特定を容易にする規定も設けられています。改正プロバイダ責任制限法で発信者特定の利便性がどのくらい高まるのか、追加・変更された条文を踏まえてチェックしてみましょう。
本記事の用語解説
- コンテンツプロバイダ
→投稿先サイト等の管理者
- 経由プロバイダ
→発信者が利用する通信サービスの提供事業者
- アクセス記録
→発信者が投稿する際に残された記録。経由プロバイダ情報が分かることから氏名住所の特定の手がかりとなる「IPアドレス」や、日時の立証手段になる「タイムスタンプ」等がある。
改正プロバイダ責任制限法のポイント
改正プロバイダ責任制限法の重要なポイントは3つです。実際の発信者特定作業に即して、現行法からの変更点をいったん整理しておきます。
現行法:発信者特定には訴訟手続きが必須(裁決まで長期化する)
→裁決最優先の「発信者情報開示命令」が利用できる
現行法:発信者特定に必要なアクセス記録が消去されてしまう可能性がある
→「消去禁止命令」で記録を保全しつつ、「提供命令」で迅速に開示されるようになる
現行法:ログイン型投稿(各種SNS等)の発信者特定は原則不可
→投稿時のアクセス記録が「特定発信者情報」として扱われ、所定の手続きで取得できるようになる
以上を踏まえた上で、「発信者情報開示命令」から順に改正内容を見てみましょう。
ネット誹謗中傷者の発信者情報開示命令とは
改正法で新設された「発信者情報開示命令」とは、権利侵害の投稿に関わる各種プロバイダから、省令で定められる発信者情報(IPアドレスや氏名・住所等の情報)を裁判所の決定で取得する手続きです。
施行後は現行の「発信者情報開示請求訴訟」に代わる手段として利用でき、効果や管轄裁判所の違いはほとんどありません。
“裁判所は、特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害されたとする者の申立てにより、決定で、当該権利の侵害に係る開示関係役務提供者に対し、第5条第1項又は第2項の規定による請求に基づく発信者情報の開示を命ずることができる。”
引用:改正プロバイダ責任制限法第8条(発信者情報開示命令)
なお、利用要件に関しても、現行法とまったく同じです。申立人に対する権利侵害が明らかで、発信者への損害賠償請求等の正当な理由があれば利用できます(改正法第5条1項・2項)。
手続きに関するその他の規定としては、以下があります。
- 決定の確定前なら申立を取り下げられる(新法第13条)
- 命令に関する記録の閲覧・謄写が出来る(新法第12条)
- 不適法または理由がない時は、相手に申立書の写しを送付する(新法第11条1項)
現行の「発信者情報開示請求」の問題点
今回の改正の背景になったのは、開示手続きが長期化する傾向にあることです。
現行法の「発信者情報開示請求」では、情報の保有者(各種プロバイダ)が書面のやりとりで開示しなかった場合、訴訟に踏み切る他ありません。その後の情報取得は裁決を待つ必要がありますが、答弁の機会が十分に与えられながら審理されるため、相応の時間がかかります。
改正後の「発信者情報開示命令」のメリット
発信者情報開示命令のメリットは、現行法と同じ裁判手続でありながら、これまで問題だった「申立てから発信者情報取得までの時間」を大幅に短縮できる点です。
命令の申立ては「非訟事件」として扱われ、事件の内容に争う余地があまりないことや、緊急性があることを前提とします。そのため、申立内容に関する決定はいち早く行われ、後から下記機会を設けて公平性を保つ処理方法が取られるのです。
【参考】発信者情報開示命令で当事者に認められる権利
-
- 当事者による陳述(新法第11条3項)
- 異議の訴え(決定から1ヶ月以内/新法第14条各項)
ネット誹謗中傷者情報の提供命令・消去禁止命令とは
発信者情報開示命令に関連して新設されたのが、「提供命令」と「消去禁止命令」です。
ネット誹謗中傷者のどちらの制度も、申立人による「発信者特定に欠かせないアクセス記録の保全」を趣旨としています。
「提供命令」の効果
「提供命令」とは、既に申し立てた発信者情報開示命令の相手方に対し、追加の申立てで「侵害情報にかかる他の開示関係役務提供者※の氏名住所」(新法第15条1項1号イ~ロ)の情報を提供させられる制度です。
要件として明文化はされていませんが、利用できるのは「相手方が発信者の氏名や住所までは保有できていないケース」と考えられます。相手方がアクセス記録しか保有していない場合に、今後の発信者特定が不可能にならないよう、経由プロバイダ等の次の開示請求の相手を速やかに明かさせるのが制度趣旨です。
“本案の発信者情報開示命令事件が係属する裁判所は、発信者情報開示命令の申立てに係る侵害情報の発信者を特定することができなくなることを防止するため必要があると認めるときは、当該発信者情報開示命令の申立てをした者(以下この項において「申立人」という。)の申立てにより、決定で、当該発信者情報開示命令の申立ての相手方である発信者情報開示命令に対し、次に掲げる事項を命ずることができる。”
引用:改正プロバイダ責任制限法第15条1項(提供命令) |
用語解説:「開示関係役務提供者」とは
特定の電気通信の用に供される設備を用いる「特定電気通信役務提供者」のうち、権利を侵害された人からの請求や裁判所の決定に応じ、情報提供の義務を負う事業者等を指します。簡単に言えば、発信者情報開示請求(発信者情報開示命令)の相手方となるコンテンツプロバイダ・経由プロバイダ等の総称です。
なお、公平性を保つ観点で、提供命令の相手方となった開示関係役務提供者は即時抗告できるとの規定があります(新法第15条5項)。
「消去禁止命令」の効果
一方の「消去禁止命令」とは、同じく既に申し立てた発信者情報開示命令の相手方に対し、やはり追加の申立てで保有情報の消去を禁止できる制度です。消去禁止命令は本案の発信者情報開示命令が終了するまで継続し、異議の訴えがあった時は、これが終了するまで効果を持ちます。
“本案の発信者情報開示命令事件が係属する裁判所は、発信者情報開示命令の申立てに係る侵害情報の発信者を特定することができなくなることを防止するため必要があると認めるときは、(中略)当該開示関係役務提供者が保有する発信者情報(中略)を消去してはならない旨を命ずることができる。”
引用:改正プロバイダ責任制限法第16条1項(消去禁止命令) |
なお、消去禁止命令に関しても、開示関係役務提供者は即時抗告できるとの規定があります(新法第16条3項)。
情報提供と消去禁止を命じられるようになった経緯
「提供命令」と「消去禁止命令」が新設された背景には、インターネット利用の仕組み上どうしても発生する情報開示プロセスがあります。
SNSにしろ、ブログにしろ、コンテンツプロバイダは投稿者の氏名住所を知り得ないのが通常です。そこで、代わりに入手できるアクセス記録から特定した「発信者の利用するインターネット接続サービス事業者」(=経由プロバイダ)に情報提供を求める……とのように、多重の手続きを要します。
もっとも、アクセス履歴から判明したネット接続サービス事業者すら、発信者の特定に至る情報を有さない場合もあります。典型的なのは、大手キャリアから電話回線を借り出す事業者が利用者と契約を結ぶ、いわゆる「格安SIM」のようなサービスです。この場合は、情報提供を求める相手が増え、さらに手続きが多重化・複雑化します。
問題は、手続き中に発信者情報(氏名・住所の特定の手がかりになる記録)が消去されてしまうリスクです。
どのプロバイダでも、記録媒体の容量等の都合があり、利用者のログに消去期限を設ける運用があります。まだ発信者特定に至っていないのにアクセス記録が消去されてしまったとあっては、手の打ちようがありません。
以上のような事態を防ぎ、確実に発信者の特定が出来るよう、紹介した2つの制度が設けられました。
ネット誹謗中傷者の特定発信者情報とは
次に紹介する改正のポイントは、プロバイダ責任制限法に基づいて提供される情報に「特定発信者情報」という新しいカテゴリーが追加された点です。
特定発信者情報とは、条文で「発信者情報であって専ら侵害関連通信に係るものとして総務省令で定めるもの」と定められています(新法第5条1項)。具体的には、下記のような情報を指します(新法第5条3項の条文より一部抜粋)。
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簡単に言えば、「投稿サービスの利用にかかる通信で記録されたIPアドレスやポート番号」を言います。なお、開示できる要件は、相手が「発信者を特定できる情報(=氏名及び住所)や、他の開示関係役務提供者を特定できる情報(=経由プロバイダ名等)を保有していない」場合に限定されます(新5条1項2号・3号)。
何故このような情報を発信者情報として取り扱うに至ったか、その理由は下記の通りです。
ログイン型投稿の発信者特定にかかる問題点
ネット上の誹謗中傷トラブルで昨今問題になっているのは、投稿のためアカウントが必要になる「ログイン型投稿」です。具体的には、下記のようなサービスが挙げられます。
- Twitter(ツイッター)
- Facebook(フェイスブック)
- Instagram(インスタグラム)
- Googleマップのレビュー
これら「ログイン型投稿」のコンテンツプロバイダが保有するのは、利用開始(ログイン)・利用終了(ログアウト)の各操作をした時の通信記録です。
上記記録は、旧法第4条1項の文言上、発信者情報開示手続きの対象にはなりません。ログイン・ログアウト操作そのものは「権利侵害に係るもの」とは言えず、文言上、発信者情報として扱えないからです。
この点、裁判実務では「発信者情報」の定義を拡大解釈する等の対応が取られていますが、最高裁の判例がないこともあり、判断にばらつきがあります。急増するログイン型投稿による権利侵害トラブルに解決するには、心許ない規定と言わざるを得ません。
そこで、法改正で「専ら侵害関連通信に係るもの」の情報取得を認め、発信者情報開示の各手続き(請求・命令)の対象に含まれるとの条文解釈が出来るようになりました。
特定発信者情報の開示にかかるその他の変更点
ログイン型投稿による権利侵害に対処するには、特定発信者情報から氏名・住所情報に行き当たるまでの手続きも整備されなければなりません。この点に関しては、以下2つの規定を追加する対応が取られています。
開示関係役務提供者の拡大
開示関係役務提供者の定義に、ログイン・ログアウトを行うための通信を提供した「関連電気通信役務提供者」が追加されました。この規定により、「特定発信者情報」と「インターネット接続サービスに残る通信記録」が同じ人物かつ同じタイミングのものであると立証しなくても、ネット接続サービス事業者に対して情報開示を求められます。
電話番号を提供する事業者も情報取得の対象に
令和2年10月には、既に「電話番号」も取得できる情報の種類に追加されています。今回の法改正で追加された条文の解釈上、電話番号を提供する事業者にも「関連電気通信役務提供者」として情報開示を求められます。
これにより、従前は拒否される可能性も踏まえて弁護士会照会(23条照会)を利用しなければならなかったところ、改正法の施行後は発信者情報開示請求(命令)が出来るようになります。ひいては、ログイン型投稿サイトから「発信者がアカウント開設・認証に使用した電話番号」を入手できれば、この後すぐ氏名・住所を取得できるようになったことを意味します。
“特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害されたとする者は、次の各号のいずれにも該当するときは、当該特定電気通信に係る侵害関連通信の用に供される電気通信設備を用いて電気通信役務を提供した者(当該特定電気通信に係る前項に規定する特定電気通信役務提供者である者を除く。以下この項において「関連電気通信役務提供者」という。)に対し、当該関連電気通信役務提供者が保有する当該侵害関連通信に係る発信者情報の開示を請求することができる。”
引用:改正プロバイダ責任制限法第5条2項 |
改正プロバイダ責任法によるその他の変更点
ここまで紹介したものの他にも、改正法では以下の規定が追加されています。
- 開示を拒否する理由を聴取する義務(新法第6条1項)
- 発信者情報開示命令について通知する義務(新法第6条2項)
開示拒否の理由の聴取は、既に慣習として行われているものを明文化するに留まる変更点です。通知義務については、発信者に誹謗中傷等を繰り返さないようプレッシャーをかける効果が期待できます。
【新旧比較】発信者情報開示のやり方
発信者特定の利便性に最も貢献しているのは、新設された「発信者情報開示命令」と「提供命令・消去禁止命令」です。まずは、旧法での手続き(発信者情報開示請求)の一般的なフローを見てみましょう。
発信者情報開示請求の流れ(旧法)
権利侵害にあたる投稿を発見
▼
サイト管理者からアクセス記録を取得(1回目の訴訟)
※申立書→口頭弁論期日→判決の順で進む
▼
アクセス記録から経由プロバイダを特定
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経由プロバイダから契約者情報を取得(2回目の訴訟)
※申立書→口頭弁論期日→判決の順で進む
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契約者情報がない時は格安SIM提供事業者等から取得(3回目の訴訟)
※申立書→口頭弁論期日→判決の順で進む
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発信者に損害賠償請求
各回の訴訟では、口頭弁論期日(1ヶ月~2か月ごとに最大2回程度)を経る必要があり、毎度時間がかかります。また、アクセス記録を保全するための仮処分命令の申立て等を挟まなくてはなりません。全体で1年程度かかることが多く、手続きも煩雑です。
次に紹介するのは、新しい手続き(発信者情報開示命令)の利用イメージです。
ここでは、大幅にフローが簡略化されます。
発信者情報開示命令の流れ(新法)
権利侵害にあたる投稿を発見
▼
サイト管理者からアクセス記録を取得(1回目の発信者情報開示命令)
※投稿から時間が経っている時は「消去禁止命令」を申し立てる
※「提供命令」で経由プロバイダも特定
▼
経由プロバイダから契約者情報を取得(2回目の発信者情報開示命令)
※格安SIM事業者等の情報も「提供命令」で取得できる
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発信者に損害賠償請求
いずれにしても裁判手続は計2回必要ですが、経由プロバイダの特定が容易になり、通信の媒介関係が複雑化していても手続きはシンプルです。1件ごとの処理が素早く、投稿内容の写し等の書類さえ揃っていれば、ほとんど事務的に情報提供の決定が行われます。
問題の投稿からある程度時間が経っていても、各種プロバイダのデータ消去期限に間に合う迅速な特定が期待できるでしょう。
海外法人にネット誹謗中傷者の発信者情報開示を求める時の問題点
改正プロバイダ責任制限法では、大手海外法人に対する発信者開示請求命令(発信者開示請求訴訟)の申立てで懸念があります。
前提として、上記のような法人では、利用規約で本国裁判所を管轄とする旨を定めるのが一般的です。また、ウェブ上で利用規約に同意する操作を行えば、管轄裁判所の規定に合意したことになります。
問題になるのは、改正法の解釈上、上記合意は有効になる点です(第9条2項・6項)。とすると、発信者の調査には本国の協力が不可欠になりますが、必ず得られるとの確約はありません。この点に関しては、今後の省令の変更しだいです。
まとめ
令和3年4月に成立した改正プロバイダ責任制限法では、情報提供にかかる裁決を最優先にする「発信者情報開示命令」が利用できるようになります。また、提供命令・消去命令により、特定のためのアクセス記録の保全も十分に図れます。
さらに、急増するログイン型投稿による誹謗中傷トラブルへの対応策として、従前は原則取得できなかった「特定発信者情報」関連の法整備が行われたのも、重要なポイントです。
本記事で紹介した改正法は、令和5年(2023年)までに施行される見通しです。改正前後は手続きでの混乱が予想されます。万一にもネット上の誹謗中傷・風評被害トラブルに遭った際は、最新情報に詳しい弁護士に相談しましょう。
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